暇を作り退屈を避けるには創作が必要ー『暇と退屈の倫理学』『ニートの歩き方』よりー

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「時間は重要」「時間を作りたい」といいつつも、いざ時間があると、落ち着かない、使い方に戸惑うということは多いものです。
時間を使うスキル、時間のうまい使い方が必要とされますし、これがないと、仕事を効率化しても意味がありません。
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「時間がある」には2種類ある

「時間がある」という状態は、いい意味でもあるいい意味にも使われます。

・時間があって、やりたいことができる
・時間があるけど、やりたいことがない

「時間があること」が必ずしも幸せにつながらないことも多いです。
定年して、たっぷりの時間があっても、やることがなく、挙げ句の果てに熟年離婚に至るケースもありますし、急に予定がなくなって時間ができて戸惑うこともあるでしょう。
仕事中に時間が余ってもつらくなります。

「時間があってもやりたいことがない」のであれば、仕事を効率化して時間を作っても意味がなくなり、結果、効率化が進まないという状態になりがちです。
本来は時間を作るために望まれるはずの効率がある一方で、時間をつぶすために望まれた非効率もあるのではないかと常々思っています。

この違いはなにか?
その答えが、「暇と退屈の倫理学」という本に書いてありました。

哲学系の本を読みたいと思い書店でうろうろしていたところ、たまたま見つけた本です。

「暇」と「退屈」。似て非なるこれらの2つの言葉の違いには、時間の使い方の大きなヒントがありました。

 

「暇つぶし」という言葉の罠

「暇つぶし」という言葉があります。

「暇」だと「退屈」だから、暇をつぶすために何かをするのが「暇つぶし」です。

ただ、貴重な時間を「つぶす」のはやはりもったいないことでしょう。

時間を作るために努力や工夫をしていると、「つぶす」という言葉がやはり気になります。

『暇と退屈の倫理学』には、

”労働者の暇が搾取されている”

という表現がありました。

「搾取」という言葉にどきっっとしますが、まさにその通りだと思うのです。
「暇をつぶしている」のではなく、「暇をつぶされている」といえるでしょう。

世の中には多くの誘惑があり、暇をつぶす方法はいくらでもあります。
インターネットもそうでしょうし、TV、CM、広告、スマホなど、だらだら時間を過ごそうと思ったら、いろんな選択肢があるでしょう。
ただ、その行動を自らが望んでやっているか、貴重な時間をそれに費やしていいかは常に意識すべきです。

私が時間を捻出するために第一にやっていることは、「だらだら過ごさない」ことであり、暇を搾取されないようにすることといえます。

続いて、本書では、

”なぜ暇は搾取されるのだろうか?それは人が退屈することを嫌うからである。だから、与えられた楽しみ、準備・用意された快楽に身を委ね、安心を得る。”

とあります。

「暇」が嫌なのではなく、実は「退屈」が嫌なのです。

昔はひたすら労働、しかも体力を使う仕事が多く、暇がありませんでした。
技術の発達により、知的労働も増え、暇も増えてきています。(増やすべきです)
本書の言葉を借りると、
”暇を生きる術を知らないのに暇を与えられた人間が大量発生した”
のです。

「退屈」が嫌だから、「暇」を搾取されることも容認していることが多いのではないでしょうか。

「暇がある」「暇」という言葉は、悪い意味に使われることもありますが、本書にもあるとおり、私はいい意味に使っています。
本書では「有閑階級」「有閑マダム」という言葉もありました。暇がなければできないこともあるのです。
暇を作る=時間を作るといえるでしょう。

しかし、「退屈」は嫌です。
時間の使い方とは、「暇」を作り、その時間を「退屈」でないように過ごすスキルといえます。
「どうせ時間があってもやることがない」のでは、「暇」を作るスキル、時間をうまく使うスキルは決して身につきません。

 

 

暇をうまく使うための「創作」

 

確かに「時間があっても、お金がない」という状態はあります。
有閑階級のように暇もあって時間もあるケースはまれでしょう。

暇を退屈に変えないためには、暇を使うお金が必要だと思われがちです。

そこで、私の中で結びついたのが以前読んだ『ニートの歩き方』という本でした。

ニートには暇がありますが、決して退屈してません。

ニートの才能として、本書で挙げられていることの1つに

”お金をそんなに使わずに時間を潰すことができるかどうか”

があります。

そして、

”創作は消費ほどお金がかからないし、作ったものがお金に変わることもときどきあったりする”

とも書いてありました。

まさにこの「創作」が暇=時間をうまく使い、退屈を防ぐ手立てとして最適です。

「創作」とは、
”それまでなかったものを初めてつくりだすこと”(大辞林)
ということを意味します。
具体的には文章(ブログ)を書く、サイトを作るなどが本書に挙げられていました。
今はインターネットを使えば、「創作」はそれほど難しくありません。

仕事以外だけではなく、「創作」は仕事にもあります。
新しいことに挑戦する、試行錯誤する、改善するということも「創作」に含まれるでしょう。

仕事中に「創作」をすることで、「退屈」することはありません。

そして、その「暇」を作る力こそが効率化といえるでしょう。

時間が余ったら、つまり「暇」ができたら、ガンガン創作していけばいいのです。
(もちろん、それが許されない会社にいると退屈になってしまいます。会社、職場選びは重要です)

思えば、会社員の頃から、仕事が「暇」と思うことはあっても、「退屈」することはありませんでした。
むしろ「退屈」だと思ったら、その仕事があわないということなのかもしれません。

「退屈」が嫌で嫌でたまらないから、新しいことや改善に力を入れているんでしょうね。
その結果、「暇」もでき、さらに「創作」ができるといういい循環になります。
仕事の改善や仕組み作りの他、創作系のである執筆やセミナーの仕事をやっているのも退屈をさけるためなのかもしれません。

できた「暇」を「創作」に使うか、搾取されるかは長期的にも大きな差になります。

このブログを書く「暇」も「創作」だと考えています(^^;)

 

この2冊、まったく関連のないように見えて時間の使い方を考えるのにはいい組み合わせですので興味があれば読んでみてください。
こういう本や気づきと出会うためにもやはり「暇」は欠かせません。

 





【編集後記】

この1週間、糖質を制限しています。
お客様が実践されていて、それをまねたのです。
食べていいもの、食べてはいけないものリストもいただきました(^^;)
さすがにつらいので、朝、昼、晩のうち1食は糖分をとっていいことにしていますが、だいたい1.4kgくらい減らせているので、もうちょっと続けてみます。

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